ジェンダーフリーとは?幼児期にありがちな男女差別の例
「男の子なのに、何でこの服?」
「女の子なんだから、ピンクにしなきゃ!」
「男の子は、痛くても悲しくても泣いちゃだめ!」
「女の子は、嫌なことがあっても怒らないで、笑わなきゃ!」
は!?
大人が、それではまずい!
幼児に男女差別、していませんか?!
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ジェンダーフリーとは?
男女差別とか男尊女卑とか女尊男卑とか、
最近聞くけど何だろう?と思っている人もいるかもしれませんね。
さて、ジェンダーとは?
ジェンダー(gender)とは、生物学的な性別(sex)に対して、
社会的・文化的につくられる性別のことを指します。
世の中の男性と女性の役割の違いによって生まれる性別のことです。
たとえば、「料理は女がやるもの」って考えている人、いますよね?
料理=女のシゴト。
でも男で料理上手もいるのに?
この性別がジェンダーです。
引用元 なんとかしなきゃ!プロジェクト
では「ジェンダーフリー」とは?
フリーは「自由」という意味でもあり、また「無い」という意味もありますね。
つまり、性別で役割を決めるような男女差別をなくしていこう
とする考え方がジェンダーフリーです。
私は、妊娠・出産を機に、色々な男女差別を経験しています。
それまでの私は鈍感だったのかもしれないけれど、
赤ちゃんが相手でも男女差別って結構繰り広げられていることに気付きました。
家庭でもやりがち?子どもへの性差別
関連記事 「LGBT BOOK?」ってどんな本?
我が子ぶどう氏を連れて、長靴を買いに行った私。
普段から自分で決めたり選んだりすることを尊重したい私は、
いくつかのデザインがある長靴も、「どれにする?」と本人に決定を委ねました。
本人なりに気に入った長靴で、翌日登園したところ…
「…えっ(笑)何でこれなの?」
「もう少し大きくなれば、周りの目を気にして、これは履かなくなると思うけどね。」
と、子どもの預け先のスタッフから言われました。
悪意はきっとないのでしょう。
でもその無自覚な男女差別が、子どもや親を傷つけることになるかもしれません。
だって、本人も親も気に入って選んだものなのに、否定しているのですから。
学校で見られる差別の例とは
関連記事 「こんなのへんかな?」ってどんな絵本?
学校にも男女差別ってあるの?と思うかもしれませんが、ありますあります。
道徳の教科書を見に行って、そう感じました。
関連記事 道徳の教科書の展示会で読んでみた
学校で使われる教科書、カリキュラム、諸行事などが
女子生徒に旧来の女らしさを押しつけたり、
男子生徒とは別の判断基準を使ったりといった
一見しては見えにくいが日常茶飯事として慣行化している性差別を生み出している。
学校のカリキュラムには、制度的・形式的な見える部分のほか、
意図的でない見えない部分があり、
これが子供達の人間形成に大きな影響を与える。
ジェンダー問題についても、
こうした隠れたカリキュラムが作用していると考えられる。
担任教師が男女の性別に対してステレオタイプな意識を持ち、
女の子は女らしくと思っていると、
いつの間にかそういう見方が子供達の身に付いていく。
男子だけが活発に発言し、女子がおとなしく黙っているようなクラスの場合は、
教師が授業で無意識のうちに男子を指名する機会が多かったり、
男子に向かって話しかける割合が多いという研究結果もある。
教科書は(中略)人間の尊重と男女平等が貫かれていなければならない。
近年、教科書の内容については各方面からの検討が行われるようになり
改善されつつあるものの、教科書に登場する女性は男性に比し量的に圧倒的に少ない。
しかも殆どの小学校の教科書では
父親が外に働きに出て母親が家事を一手に引き受けている
という家庭のイメージを描いている。
この隠れたカリキュラムは
学校におけるジェンダーバイアスを生むメカニズムとして
重要な役割を果たしており、
こうした文化の存在に気づくことが
男女平等教育にとってきわめて重要である。
引用元 白鵬大学論集「学校におけるジェンダー・バイアス ―ジェンダー・フリーな教育のために―」
考えすぎでしょ?と思ってしまう人は、少し鈍感かもしれません。
二分の一成人式をやることについて批判が来ているのと同じ。
「家庭には父親と母親が揃っているのが普通」という思い込みから、
子どもや家族が傷つくことが現代でもたくさんあります。
父子家庭の子からすれば、母親は家にいなくて父親が家事も育児もするのが普通でしょう。
両親揃っていても、父親が主夫で家事と育児を担っている場合もあります。
でも、教科書にはそういう描写はほとんどされていませんよね。
普通は母親が家事をする、普通は父親が外で働く、
という視点でしか教科書は作られていないからです。
当事者ではなくても、先生達がそういうことに敏感になって目を向けていかないと、
子どもに無意識に男女差別を刷り込んでしまいます。
幼児期に既に見られる差別の例とは
・「女の子らしい服装/性格/遊びだね。可愛いね。」「男の子らしいね。かっこいいね。」
→女の子への褒め言葉は可愛い、男の子への褒め言葉はかっこいい。
そうでないといけないと思い込む子どもは、既に幼児の年齢で結構います。
安易な褒め言葉を乱用するのではなく、その子に合った声かけが必要です。
「絵本に詳しいんだね」
「楽しそうな絵を描くんだね」
「歌声がとてもきれいだね」等。
・「男の子なんだから顔の傷ひとつやふたつあったって大丈夫!」
→女の子なら顔に傷があったら価値がなくなる、女の子は外見が全て
と言っているようなもの。
また、男児も女児も痛覚はあるので性別は関係ありません。
男児だって痛いのは痛いし、顔に傷があったら気にする子もいます。
痛みや悩みを矮小化せずに寄り添う姿勢が必要です。
・「男の子なんだから外で遊びなさい。」
→好きな遊びを否定しているので傷つきます。
室内遊びが好きな子を認められるように、
子どもに対しての寛容さが、大人や先生達にも必要です。
また「活発で外遊びをするのが良い子ども像」が
「静かに室内遊びをするのは暗い子」というイメージを作る要因になるのではないか、
スクールカーストを作っているのは大人ではないかと、
Eテレ「いじめをノックアウト」でも指摘されています。
・「女の子なんだからそんな怒鳴ってはだめ。はしたない。」
→嫌なことをされた時・危険な目にあった時・心から怒っている時は、
性別関係なく怒りを表現し、
危害を加えてきた相手にそれを伝えて構いません。
自分をもっと大事にしていいと伝えるべきです。
他人への配慮や遠慮を教える前に、子どもに伝えるべきなのは
「自分の心と体を大事にしなさい」という人権教育です。
・「男の子は青にしましょう」「女の子は赤にしましょう」
これも、どの世代にも男は青系、女は赤系と
決めつけられてしまうことはよくあります。
性別で、好きな色・遊び・持ち物・言動などが
勝手に決められてしまうってひどくつまらない価値観ですよね。
「ピンクを着る男の子はきもい」「青は女の子らしくない」と言って、
他人の好みに口出しするのは愚かです。
「並び順や、何かの順番で、男女で分けるのがそもそもおかしい。」
「絶対に、男か女かで分けたり判断してはいけません。」
と言ってくれたのは、保育科の学生時代にお世話になった講師の先生。
当時はピンとこなかったけれど、この先生はとても賢い方で、
今やっと先生の言っていたことが理解できます。
確かに、アンニュイな感じの男性の先生ではあった…。
お腹の赤ちゃんすら男女差別されている?!
妊娠出産を機に私は男女差別を経験した、
と書きましたが、実際に言われた言葉。
- 「お腹の赤ちゃんの性別はどっち?あ…そう、残念だね。」
- 「女の子なら学費がかからなくていいね。だって大学行かないでしょ?」
- 「男の子なら学費がかかって大変。だって大学行って就職して結婚するでしょ?」
信じられないような言葉ですが、面と向かって、そんなに親しくない人に言われました。
いつの時代かな…と思ってしまうけれど現代の話。
どんな性別であっても、自分が体を張って守っている胎児は大事な存在です。
その子の性別を「残念」と言ってしまう人がいるんです。
- 「成長したら可愛くないから」
- 「優しいのは女の子/男の子だ」
- 「跡取りになれないから女の子じゃ喜ばれないでしょう」
- 「男の子じゃ将来孫を抱かせてもらえない」
などなど…
全て、大人の勝手な思い込みや要望で、
胎児まで差別を受けていることがあります。
まだ生まれていないのに、赤ちゃんの頃から性差別を受けてしまう子は、
我が子以外にもきっといるのではないでしょうか。
私は我が子との人生を経て、ジェンダーフリーを目指すようになりました。
子どもに対して、遊びのジャンルを指定することもしませんし、
服装や持ち物から性別ではっきり分けるようなこともしていません。
身体的性差は尊重を
性差別をしないとは言え、身体に性差は出る傾向があり、それを無視してはいけません。
特に分かりやすいのは、これ。
- 思春期男子の変声期
- 思春期女子の月経
変声期の男子に、無理やり大声で挨拶をさせたり、
高い声で歌わせたりして、声帯に負担をかけてはいけません。
月経が始まった女子は、まだ月経との付き合い方も分からず
出血による貧血になりやすく、
長時間立たせたりプールで体を冷やすようにさせたりしてはいけません。
どちらも、ヒトの成長や変化・人体の基礎知識を無視した行為といえるでしょう。
そして重要なのは、「じゃあ逆の性別の人には無理させていいのか!」と誤解しないこと。
男子だって体を冷やして長時間立たせるのは酷ですし、
女子の声帯だって負担をかけて枯らせていいはずがありません。
男子皆が筋骨隆々ではないので力仕事を無理にさせるべきではなく、
どちらも楽に作業ができるように荷物を減らせばいい。
女子皆が体に柔軟性がある訳でもないので、
柔軟運動で痛いなら無理にやらなくていい。
それはどちらの性別でも同じ。
身体的性差ばかりではなく、どちらの性別であっても個人差を認め、
生きている人間として大事にしましょう。
大人が子どもの心身に負荷をかけて
「教育してやったつもり」になって楽しんでいてはいけません。
まとめ
関連記事 ジェンダーフリーの絵本で、性差別から解放されませんか?
ジェンダーフリーの子育てをするために
- 「男の子だから」「女の子だから」
という言葉を使っていないかどうか - 女の子にはピンクの折り紙・男の子には青の折り紙
と決めつけて与えていないか - 恐竜や車やお姫様やおままごとは
誰が好きだって構わないと考えているか - 「男の子は可愛いけどバカだから」
と決めつけて見下していないか - 「女の子は口が達者で生意気だから」
と失礼な言葉で決めつけていないか
まずは、とても敏感になって
日頃の自分の保育と育児を見直してみませんか?
男女差別から脱却すると、
自分や相手を縛っているものから解放されて、楽になるかもしれませんよ。
こちらもどうぞ!
→ジェンダーや性について考える絵本「セクシュアルマイノリティってなに?」