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「マララとイクバル」の絵本で、学ぶ権利と債務児童労働を知ろう

2020/07/08
 
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子どもからよく聞かれる質問のひとつ。

「どうして勉強しなければいけないの?」
「何で学校に行くの?」

それの答えのヒントになる?
子どもが、子ども時代を謳歌するって、こういうことなのかも?

「マララとイクバル パキスタンのゆうかんな子どもたち」を読んでみませんか?

マララとイクバル パキスタンのゆうかんな子どもたち

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世界の偉人について知ることができる本は
たくさん出回っていますが、なかなか難しい!
でも、この絵本はすごく分かりやすいですよ。

短くて簡単な文章、少ないページ数、過激な描写のない絵で、
イクバル・マシーさんとマララ・ユスフザイさんの人生が描かれています。
違う時代の子どもだった2人ですが、どちらも子どものために戦った勇者。
その2人の人生が1冊の絵本で繋がって読めるようになっています。

イクバルさんとマララさんが、どうして「子どもの人権」を語る上で必要なのか、それは…。

「ぼくたちは、自由なんだよ!」
イクバルは、ゆうかんな男の子でした。
四歳のときから絨毯工場で働きはじめ、
十歳で解放されてからは、児童労働に対し、声をあげました、銃弾に倒れる日まで―。
子どもたちに希望を与えた少年 イクバルの物語

 

「なぜ女の子は学校にいけないの?」
マララは、ゆうかんな女の子でした。
女の子が学校に通う権利を訴えつづけ、
そしてある日、タリバンの兵士に撃たれてしまいます―。
ノーベル賞平和賞を受賞した少女 マララの物語

イクバルさんもマララさんも、
「子どもの当たり前の権利」が奪われることに反対し、
立ち上がって抗議した
勇気のある人だからです。

絵本の内容と、イクバルさん・マララさんの人生とは?

イクバル・マシーについて

画像引用元 Free The Children Japan

イクバルは、パキスタンじゅうのじゅうたん工場にいきました。
3000人の子どもたちに、じゆうをよびかけました。
海をわたり、アメリカでも声をあげました。
「リンカーンだいとうりょうが
 どれいをじゆうにしたように、
 パキスタンでもおなじことをしたいのです。
 さいむろうどうの子どもたちにじゆうを」

イクバル・マシーさん(1982-1995)は、パキスタンで生まれた男の子。
貧しい両親の借金のために、
たった4歳で絨毯工場で働くことになった「債務労働者」でした。
毎日鎖につながれて、暗い早朝から晩まで、絨毯を織り続けました。

ある夜、とぼとぼかえりながら、ふと、
かべのはりがみをみると、
「さいむじどうろうどう」にはんたいするしゅうかいの
しらせがありました。
「さいむじどうろうどう」とは、おとながかりたお金を
かえすために子どもがはたらかされることでした。

 

「さいむじどうろうどう」は、
いまは、きんしされていること、
しゃっきんも、なくなったことをしりました。
イクバルは、もう、じゅうたん工場のものではないのです。
イクバルは、じゆうになったのです。
イクバルは、くらいこうじょうに、はしっていきました。
かみをふりながら、さけびました。
「みんな、もう、じゆうだよ!ぼくたちは、じゆうなんだよ!」

10歳の時に「債務労働解放戦線」により自由になったイクバルさんは、
学校へ通い一生懸命勉強します。
そしてすごいのは、子どもでありながら、
児童労働に反対だと声をあげ訴えたのです。
ストックホルムでは労働問題の国際会議に出席して話をして、
ボストンではリーボック人権財団から賞を授かりました。
パキスタンの自由の象徴として一躍ヒーローになったのです。

国連人権高等弁務官は、イクバルさんをこう称します。
「パキスタンにおける現在の奴隷労働に対する戦いの勝利者」
「世界中の何百万人の子どもたちに影響を与えた」

子どもが働くことに反対だと訴え続けたイクバルさん。
多くの子どもを働かせることで成り立っていた絨毯業界から脅迫を受けていました。
12歳のある日、何者かに銃で撃たれ亡くなりましたが、
真相ははっきりしていないようです。

たった1人の少年のために多くの人々が悲しみ、
彼の意志を受け継いだ者たちが子ども達のために活動をしています。

イクバルが埋葬された際に、墓のそばにいた少女が
「イクバルが死んだ日、千人のイクバルが誕生したわ」
と語ったといい、その言葉どおり、
イクバルの遺志は多くの同年代の子供たちに受け継がれている。

引用元 wikipedia

NGO「フリー・ザ・チルドレン」もそのひとつで、
今も児童労働の解放のためにさまざまな活動をしています。
それから、この絵本のもう1人の主人公のマララさんもまた、
彼の意志を受け継いで子どもの人権のために活動しています。

マララ・ユスフザイについて

マララは、勇気のある女の子でした。
「知識がわたしをつよくしてくれるの」

マララ・ユスフザイさんは、パキスタンの小さな町で生まれました。
父親が作った学校に通い、積極的に勉強する聡明な女の子でした。
しかし、武装勢力タリバンが力を持つようになると、
「女の子は勉強するな」と圧力をかけるようになります。
女の子や女性が賢くなると、困るからなのでしょう。

マララさんは勇敢で行動力があり、
弱冠11歳にして初めて公の場で女子教育の重要性を話すほど。

タリバンはまいにち、けいこくをだしていました。
「女の子は学校へいってはいけない」
でもマララは、声をあげるゆうきをもった女の子でした。
「わたしには教育をうけるけんりがあります」
「あそぶけんりも」
「うたうけんりも」
「はなすけんりも」
「いちばへいくけんりも」
「声をあげるけんりも」

 

マララは、声をあげることをやめません。
「だれもわたしをとめることはできません」
わたしはかならず教育をうけます。
家でも、学校でも、どこででも」

 

「タリバンは、本とペンをおそれています。
女のひとたちをおそれています。
教育をうけるという、きほんてきなけんりを
とりあげることはゆるされません」

兵士から脅されたり学校を爆破されたりしても、
マララさんや学友の子たちはこっそり通いつづけます。
そしてある日、スクールバスを襲撃され、
マララさんは銃で頭を撃たれてしまうのです。
急いで病院に運ばれ、複数の病院で治療を受けて奇跡的に助かります。
その後に迎えた16歳の誕生日には、
国連であの有名なスピーチをおこなうのです。

ひとりのこども、ひとりの先生、1さつの本、1本のペンが、せかいをかえるのです

武力で解決するのではなく、
勉強して色々なことを知り賢くなることで、人は豊かになれるのだと。
子ども時代に勉強する必要があるのは、
そういう大人になるためなのですね。

マララさんは今も子ども達の教育の権利のために、様々な活動を続けられています。

まとめ

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絵本「マララとイクバル」は、10代で世界を動かした2人の物語で、
子どもが読んで勇気や力をもらえることでしょう。

  • イクバル・マシーは児童労働の解放のために声をあげた少年
  • マララ・ユスフザイは女子の教育の必要性を訴えた少女
  • 子どもは、自分の好きなことや学びたいことを学ぶ権利がある
  • 借金のために子どもを働かせてはならない
  • 平和的で賢く、自分で道を切り開く大人になるために、子どもは勉強する必要がある

「なぜ勉強するの?」
「なぜ学校へ行くの?」
それの答えを知りたい人は、子どもも大人もこの絵本を読みませんか?

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