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ナルちゃん憲法とは?天皇陛下徳仁さまの子ども時代の教育は斬新?!

2020/07/14
 
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令和の時代が始まり、
譲位をめぐってここ数年は皇室ブームのよう。
新しい天皇陛下の幼少期の教育環境が、
当時の皇室では斬新だったと話題になりました。

「ナルちゃん憲法」って、どんなの?
浩宮さま(天皇陛下の徳仁さまのこと)の幼少期の教育とは?
一般市民が想像しているのは、豪華絢爛な暮らしで甘やかされっぱなし?

意外な生活に驚きの連続です!

ナルちゃん憲法とは?美智子さまの愛情あふれる育児法典

関連記事 憲法と国民主権が絵本で分かっちゃう!「おりとライオン」

まだ幼い皇太子さまをひとり残されて、
美智子妃殿下はアメリカへ旅立たれました。
やっと「育児」が始まったばかりの大事な時でした。
お留守の間、浩宮さまの身のまわりのお世話をしてくれる人たちのために、
美智子さまが書き残された育児メモ。

それが『ナルちゃん憲法』でした。
緑がかった表紙のルーズリーフに書かれた注意書きの一つひとつには、
お母さまの優しいお心遣いがあふれています。

引用元 「ナルちゃん憲法 皇后美智子さまが伝える愛情あふれる育児法典」

ここ最近は、ご譲位や改元に伴い皇室ブームのような状態に。
(個人的には、モノ以外に「ブーム」という呼び方はしたくないのですが…。)

令和の新たな天皇陛下の、幼少期の教育環境とは?

それがよく分かるのが「ナルちゃん憲法」!

1960年、ご両親である明仁様と美智子様は、
公務によりアメリカへ渡ることになりました。
その時生後7ヶ月だった浩宮様とは、公務の16日間、離ればなれになることに。
そこで、お世話を側近に依頼するのに、渡したメモが「ナルちゃん憲法」なのです。
美智子様の子育て方針を書き溜めていったメモなのですね。

ナルちゃん憲法の条文

上で紹介した書籍
「ナルちゃん憲法 皇后美智子さまが伝える愛情あふれる育児法典」。
元東宮侍従の浜尾実さん達の話をもとに、
皇室担当記者の松崎敏彌さんが本にしたものです。

ナルちゃん憲法は、内容な簡単なものばかりでまとめられ、
日々必要に応じて付け足されていきました。
憲法と名前がつくものの、堅苦しいものではなく、
母の愛情に満ちた微笑ましいものなのです。

この本の目次や、重要事項と思われる部分を抜粋すれば、
ナルちゃん憲法全文…のようになるかもしれません。

とても重要視されていたのは以下のポイント!

  • 「人によって、またはときによってバラバラなしつけではいけない」
  • 「一定のきまりごとや一貫したものがなければ困る」
  • 「悪いことは悪いと厳しく叱ってもらえるように」
  • 「ナルちゃんを人として立派に育ててください」
  • 「豊かな想像性をつけさせるためには多くの社会経験が必要」

愛情深く、楽しく育児を

一日に一回くらいはしっかり抱いてあげてください。
愛情を示すためです。

あなたのことが大好きな人がたくさんいるのよ。

浩宮さまに愛情を伝えるため、だけではないのです。
厳しいしつけは愛情の証であることを、
お世話をする者も再認識できるのですね。

コップにすこしだけビンから注ぎ、
「『ナーイ』にしてちょうだい」と言うと
一生懸命飲んで「ナーイ」と見せてくれます。
またすこし足します。

 

自分でビンを持ってコップに注がせます。
そのとき、”ボッコ、ボッコ”と言ってあげるととても喜びます。
こぼれないうちに手でビンを押さえ、
コップを渡して”もう飲んでちょうだい”と言います。
たいていひと口飲んでコップを差しだしますから”フターツ”、
次のときは”ミーッツ”と言ってあげます。
三つ飲んだら、またコップに”ボッコ、ボッコ”としてもらいます。

 

おそうめんをいただいたあと、
口の周りはぬれたガーゼでよくふいてあげてください。
乾くとかゆくなりそうですから。

 

お食事は山盛りよりも軽くよそって全部をいただくように。
食器が自分の手でからにできると”ナーイ”と言ってとても自慢そうです。
”ナーイ”になったら、たくさんほめてあげてください。

牛乳が苦手だった浩宮さまの自主性を尊重しながら、
少しだけ牛乳を飲んでみないかと簡単なチャレンジから始めました。
食べてほしいと感じる理想の食事量よりもまず、
「全部食べられて嬉しい」と完食の喜びを味わえるくらいの量を盛り、
何より子どもの達成感を大事にされました。

朝起きたら、裸のからだをゴシゴシこすってください。
お昼寝のベッドに入れる前に、
ブラウスの一番上のボタンをはずしてください。

健康のために薄着で過ごし、
起床後と夕方の入浴前には裸にマッサージを日課にされていました。
お部屋の中は少し肌寒いくらいで、
浩宮さまは鼻水が出ていたこともあったけれど
大きな病気もなく健康にお育ちに。
市民としては「温かい部屋でゆったりお過ごしなのだろう…」
と考えているものなので、これは意外!
美智子さまは健康な体づくりのために、
「ナルちゃん体操」も考案されました。
入浴前に、浩宮さまの両手を握って左右に開いたり閉じたり、
脚を曲げたり伸ばしたりする体操です。
手足の丈夫な子になるように運動も欠かさなかったのです。

人の批判から自分を守るための外向きの厳しさや、
自己満足のための厳しさを持ちたくない。
私はむしろ、大勢の人のさまざまな要望におびえてしまって、
自分がナルちゃんに
子どもとして必要な十分な愛情を注いであげられないことのほうが、よほどこわい。

 

普通の人として育て、みんなが生活のため職業をもっているように、
皇室のひとりとして特殊なものを身につけるような教育をしたい。

一般の子どもとしての浩宮さまと、
将来天皇になられる浩宮さまの
教育のバランスにいつも気を配られていたご様子。
沢山の人々の期待に応えるために、
やたら厳しくしてしまうのも悩みものですよね。
せっかくの可愛い盛りの赤ちゃんなのにもっと余裕を持って関わりたい…
と思う母親は多いことでしょうから。
長い妊娠期間を経て会えた赤ちゃんですからね。
将来の天皇になるお方とはいえ、可愛いご自身のお子様には変わりません。

遊び友だちがいなくてはかわいそうです。
お友だちをお呼びしましょう。
もし、ご都合がよろしかったら東宮御所にいらっしゃいませんか。

同年代の子との交流が極端に欠けているのでは
と心配された美智子さま。
しかしお立場上、気軽に友だちのお家に行けません。
浩宮さまが1歳の時に、
東京の赤ちゃんコンクールで優良児に選ばれた赤ちゃん12名をお招きしたとのこと。
御所のホールに畳を敷き詰めて
おもちゃをたくさん広げてみんなで遊んだのです。
両陛下のご友人にもお子様同伴で遊びにきてもらったり、
初等科の時はクラス全員を順番にご招待されたのだとか。

子どもを育てるのは人間の心が中心になるので、
なによりもまず本人の幸せを望みたい。
いちばん大切なのは、両親が子どもの発育の形を見きわめて、
深い愛情と忍耐で子どもの心をだいじに育てることだと思います。

多くの制約がある中でものびのび自由に育った浩宮さま。
東宮御所内の侍従のお宅の「掘りごたつ」がお気に入りになったのだとか。
そこでかくれんぼは危ないのではと周りの者は心配していたけれど、
侍従からは自由に遊ぶのを許してもらえていたようです。

浩宮さまが学習院に入学された頃、美智子さまはこう語っておられました。

私もやはり、低学年のころはあまり勉強をしないときがありました。
そのころ、父や母からはなにも言われず、
自分からその気になるまで黙って見守っていてくれた記憶があります。
自分で気がついて勉強しようという気になるまで、
じっと親としては見守ってあげたいと思います

 

小さいころは、その子どもなりに進歩しても、
それが五段階の同じ数字で評価されているかぎり
勉強の励みにはならない
と思うの

子どもの長所を見守って伸ばしてやりたいとお考えだった美智子さまは、
学校教育の評価のありかたにも疑問を持たれたこともあったようです。
子どもに「勉強しろ!」と言えば言うほど、
能動的に意欲的に学ぶ気持ちはそがれてしまいます。
信用して子どもの意識の変化を待つのも、大事な教育ですね。

自主性と自立心を育む見守り方を

自分が投げたものは、なるべく自分で取りに行かせるように。
軽く背中を押して、「取ってきてちょうだい」と言ってください。

遊びのあと片づけや日常生活の片づけは、
自分でするようにと教えられました。
次の遊びをしたい時は片づけが終わってから。
自分のことは自分で行い、自立した人になれるようにとのこと。
身のまわりのことを全てお世話してもらってお任せ…という訳ではないのです。
「人として立派に」と願う美智子さまのお気持ちが強く感じられます。

できるだけ動作で遊んでしまわず、
要求を口で言わせるようにしてください。

子どもが意思表示をしている時は、大人が先回りして代弁せず、待つこと。
自分の気持ちを自分で言葉で伝えることは、生きる力にも直結します。
また、ワンワンなのかワンちゃんなのか等、幼児言葉は統一し、
絵本にも書き込みをするほど徹底。
しかし幼児言葉の多様も避けていたようです。

お昼寝はいままで通りひとりで、夜はベッドのわきについてあげてください。
ときどき手を伸ばしてあげると、手をいじりながら必ず眠ると思います。

赤ちゃんのひとり寝の習慣といえば、アメリカの育児ですね。
自主性を育てるため、浩宮さまも生後間もなくからひとり寝を習慣にされました。
しかし皇子室の扉に耳をそばだて心配されていた美智子さまのお姿も。

朝はひとり遊びのよいチャンスですから、
ベッドの中で少なくとも三十分は遊ばせてください。
ひとり遊びのときはナルちゃん以外の人が通らないように。

 

毎日、四時から四時半までのお遊びの時間は、
自由にほうぼうの部屋に入って
ひとりで遊べるようにしてあげたいと思います。

 

洗面所へは一日三度か、四度は入れてもいいでしょう。
ただし、熱湯の出る蛇口は気をつけてください。
かならずだれかがついていること。
洋服が濡れていないかよく調べて、
濡れていたらすぐ替えてください。

 

お居間にある灰皿や煙草入れは片づけて、
見えないところに置くように、
マッチは見ている人のあるときは箱ごとあげてください。
軸の先をなめないように。

 

ひとり遊びは続けさせてください。
おとなは適当に動き回ってお仕事をしているほうがいいようです。
遊んでいるときは多くの人で取り囲まないように。

 

できるだけひとつのもので長く遊ばせるように。
というよりもむしろひとつのものに熱中しているときには、
別のものを渡したり見せたりして、注意をそらせぬようにしてください。

ひとり遊びをして精神力・集中力・持続力が養われることを
とても重要視されていました。
遊びに熱中しているときは邪魔をしない環境をつくられました。
1歳半の頃には1時間もご機嫌でひとり遊びをされるまでに!
ベビーベッドに付けた鈴がなると、
浩宮さまが起床されたと周りの大人が分かるようになっていました。
何でも危険と遠ざけるでもなく、
しかし重大な事故になりえるものはきちんと対策をとります。
安全に遊ばれているか見守られながら、
じっくりひとり遊びの時間を満喫
されたようです。
上皇陛下は子どもの頃、危ないからという理由で
運動は制限され階段も怖かったと仰っています。
そういった経験も、「子どもを自由に遊ばせてやりたい」
という育児方針につながっているようです。
浩宮さまの運動遊びのために、
御所に平均台や松の丸太や、ご夫婦手作りのお砂場もご用意されました。

私の書斎では割合によくひとりで遊びますから、
ここをときどきお遊び場としても良いでしょう。
私の机を使ってください。
書き物などしていると、その間
アルバムを見たり、玩具を投げたりして遊んでいます。
机の引き出しを開けたりしますが、これは良いこととして、
中のものを出しても止めないでください。

自分を大切にしてくれる大好きな母のとなりで、
安心して過ごせるようになると、
まったくのひとり遊びという次の段階につなげることができます。
机や引き出しは子どもにとって興味の宝庫!
好奇心や知識欲を育てるために温かく見守るようにとされました。
何でもかんでも「ダメ」と禁止されたら、
好奇心は育ちませんし、子どもなりに傷つき退屈です。
浩宮さまはお風呂上りにパウダーをまき散らしたり、
トイレットペーパーをぐるぐると引っ張り出す、
お父様の大事なレコードの上に乗って遊ぶ、
とわんぱく盛りだったようです。

私たちが留守のあいだ、ナルちゃんもつまらない思いをするでしょう。
その機会をとらえてお小遣いを与えてください。

実は、何とビックリ!
皇族の方々はお金というものをお持ちにならないのだそうです。
浩宮さまが初等科三年生の頃、付き人から
「そろそろお金の勉強を浩宮さまにも」と言われていた美智子さま。
そこで、
「留守の間にナルちゃんがつまらない思いをするかもしれないので、
お小遣いを与えてください」と侍従にお話されました。
侍従と2人で御所の近くの商店街の八百屋で、
リンゴを買ったのだとか。
それまでの皇室は、ご自分でお買い物を学ぶということはなかったのです。
子どもの頃から色んな社会経験をさせてやりたいというご両親の方針が、
それまでの皇室を大きく変えていきました。

ときには厳しさも

しつけとは、ひとつのカラに閉じこめてしまうのではなく、伸ばしてやること。
子どもに対して将来正しい生活が上手にできるように準備してあげること。

 

危険なものは、あらかじめ取り除いておくこと。
ナルちゃん用のお手洗いのあるところは開放。
ただし、湯殿との境は閉めておくこと。
台所の出入口は閉めておくこと。
ナルちゃんが自由に廊下を遊びまわっているときには、
入ってはいけない部屋や、危険な階段に通ずるドアは、
忘れずに閉めておいてください。

 

ときどき小石などをお口へ入れるので、よく見てください。
口に小さなものを入れたときは、
急に「アッ」と言って近寄ると、
びっくりしてかえって息といっしょに吸い込んでしまったりするそうですから、
けっして驚かせないように。
口に入れる前、もし入れてしまったら出してから、
手を持って「いけません」と言ってください。

 

ひとりのときはくれぐれも事故のもととなるようなものに気をつけてください。
また高いところに登る足がかりになるものは、取りのけてください。

 

「ちゃんとお聞きにならなきゃいけません」と叱ってやってくださいね。

やりたいことは自由にさせつつ、
依存心を取り除けるように一人で挑戦させることを大事にされました。
そのためには、誤飲のもとになる小さいものや、
高いところから落ちるようなものは予め避ける。
その範囲内で、十分に自由に探求活動をできるよう配慮されていました。
朝食後に皇居内をお散歩する時は、必ず一人で歩くのが決まり。
疲れて抱っこをせがまれても、励ましたり工夫した声掛けをしたりしながら、
自分の足で歩くように支援しておられました。

お食事のときは、ご本はあげないように。

食事中にお皿で遊んでいた浩宮さまを
ご両親が叱っても遊びが止まらない…
そんな時はおしりをバシッと叩くことも。
まず言葉で注意し、言い聞かせても分からない時は体罰も必要という方針。
食事抜きや暗い部屋へ閉じ込めて反省を促すといったこともされました。
危険なことは特にしっかり注意するようにされていました。

お野菜は少量でもごはんにまぜて根気よくあげてください。
ちゃんと食べ終えるまでは、食堂から出てはいけません。

出された料理は何でも食べられるようしつけられたが、
強要をすることはありませんでした。
自分から食べられるように、
調理法を工夫したり歌を歌ったりして、根気よく食育をされました。

フラワーボックスの土はいじらないことにしてあります。
さわったら「バッチですよ」と言ってください。

 

”パパのもの””ママのもの””だれだれのもの”は、
最近ほとんど聞き分けられます。
ただはっきりと、さわろうとしたとたんに言うことが大切のように感じます。
”ちょっとだけ””こんどだけ”というのは、
あまり赤ちゃんには通じないと思います。

 

聞き分けの練習が大切と思われますので、
ナルちゃんなりに納得のいく説明をして、
してよろしいこと、してはいけないことのあることが
わかるように教えてください。
最近の例ですと、すこしの練習がいりましたが、
いまはもうスタンドを見ても”パパ”と言って、
自分はさわらないもの、あれは”パパのもの”
というように自然とけじめがつけられます。

東宮職員によって丹精こめてつくられたお花や、他人の持ち物など…。
さわってはいけないものには「その場ではっきりと注意」すること。
また、他人のものと自分のものを区別させることも徹底されました。
相手が小さな子どもであっても、根気強くお話を繰り返されました。

いまでなくて、もうすこし大きくなってから急に制約がふえると、
いま以上に強い自我とぶつかって、
結局ナルちゃんがかわいそうなことになるのですから、
そのことを頭において、
いまという比較的しつけの楽なときにすこしずつ訓練したいものです。

幼い子どもの頃から、正しいことと悪いことの認識をはっきり教えていき、
心を育てていくことを大事にされていました。

上皇陛下は厳しいお父様として浩宮さまに接しておられたようです。
初等科の浩宮さまが宿題をやり忘れた時、
とても厳しいお顔で
「きちんと学校の宿題をできない子は、廊下に立っていなさい」
とカミナリを落としたのです。
私たち一般人から見る上皇陛下はいつも笑顔で柔和な表情ですから、
とても想像つきませんよね。
それほど本気で、パパとしてお子様と向き合われていたのでしょう。

集中力を高めるための環境づくり

”ながら病”は、できるだけさけること。
靴をはくときなども「靴をはいたらおんもね」と言いながら、
靴をはくことだけに集中させること。

 

ご本を読んで聞かせてあげているとき、
わき見をしたりほかの遊びをするような、そんなことのないように。
そういうことがあったら、注意してあげてくださいね。
ちゃんとお聞きにならないといけません、
と叱ってやってくださいね。

 

食事のときは、ある程度やむをえないと思いますが、
なるべくコップやスプーンなど、
食事と関係あるもので遊ばせてください。

小さい子どもなら食事中に少し遊んでしまうのは仕方ないけれど、
食事に関するもので遊ばせて
食事に集中できるようにと美智子さまはお考えでした。
少しずつ大きくなると、人前で食事をしても恥ずかしくないようにと、
根気よくマナーを教えられていました。

色んな体験を通して学ぶ

金鶏のエサは、毎日、「トットッ」と言いながらまかせてください。
器は放らないように。
なお、尾長鶏は、ごくまれですが、ツッツクので注意してください。

 

エサの器は投げないように、
追いかけて逃げるおもしろさよりも、
エサをあげると寄ってくるおもしろさのほうを覚えさせる
ように。

小さな子どもは追いかけ回しているのが動物と遊んでいるつもりであっても、
弱いものをいじめるようなことになってしまうので
それは避けたいとのお考えでした。
動物は命あるものと学び、責任感を育むために、
毎日のエサやりが浩宮さまの「お仕事」として日課に。
贈られた小鹿のお世話には苦労されたようで、
そこから「動物は思いのままにはいかない」と学ばれたようです。
妹君の紀宮さまも幼稚園の頃には、
玄関の新聞をご両親に届ける・飼い犬の食事と散歩のお世話をする等
お仕事を受け持っておられました。

この四年間、強く感じたことですが、
第三者が真剣に働いている姿を見る機会に恵まれていません。
たとえば、食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと
思い違いさせないでください。

それで、まだ小さいときに、手を引いて
料理をつくっているところをわざわざ見せに行ったこともあります。
リンゴは赤い丸いものだということをわからせるために、
お盆に丸ごと出したり、根っこのついている野菜を見せるなど
実物に触れさせるようにしています。
また、私がミシンをかけるときなどは、そばで遊ばせるなどしています。

やはり皇室での育児は、特殊な環境。
浩宮さまの生活感覚が乏しくならないように
多くの社会経験をもたせたいと、上皇陛下ご夫妻は常々思っておられたようです。
しかし、自由に出入りできるような環境でもないですよね。
工場で働く人々の様子を見学に行かれたり、
皇居内の木々のお手入れをするボランティア「勤労奉仕団」の
仕事の場にもお顔を出すようにと、浩宮さまをお連れになっていきました。

普通の人としての感覚を大事に

浩宮さまは、お友だちと自由に遊んだりお食事をしたり…
という機会がほとんどなく、
学校の集団生活はとても楽しまれていたそうで、
中でも給食は特別楽しみだったとのことです。
一般家庭と皇室があまりにも大きく違う食生活だと、
そういう習慣の違いで浩宮さまが肩身の狭い思いをするのではないか…
と美智子さまは心配されました。
そこで、一般家庭と同じものをと調理担当へ注文を出されたり、
それまでにはなかった「おせち料理」をお正月に召し上がるようにされたのです。
「インスタントラーメンってなあに?即席ラーメンってどんなもの?食べてみたいよ」
と、学校からお帰りになって浩宮さまが言い出されたことも!!!
インスタントラーメンが爆発的ヒットをした頃で、
ご両親と一緒に召し上がり、浩宮さまは大喜びでペロリ!

節水が呼びかけられているので、
ナルちゃんの洗面所の水のいたずらを控えましょう。

 

百三十にんもいる生徒の中で、
お父さまのお古を着ている子どもはナルちゃんだけでしょうね。
必要なものだけを新しいものに替えてください。

皇室の方々が健康のために薄着であるというのも庶民にとっては驚きですが、
質素と節約も皇室の美徳であると語られています。
新しいものを購入する時は慎重に検討され、
贈られたものは大切に扱い、壊れても何度も修理し、
長く長くお使いになるのです。
浩宮さまのご本は、美智子さまが入念に一冊一冊お選びになったもの。
初等科入学後の登校は、上皇陛下のお下がりの制服。
浩宮さまのおしめは、
現在の上皇陛下がお誕生の頃に使われたガーゼの残り!
菊の紋章入りのベビーベッドは、
常陸宮さま(上皇陛下の弟君)がお使いになったものだとか!

しかし、質素と節約は美徳であるけれども、
「芸術は本物を」と常々意識されていた上皇陛下と条皇后陛下。
自然とクラシック音楽に親しめるように、
レコードで音楽をかけたり、
美術館を見学されたりと「情操教育」も大切にされていました。

学習院ってどんなところ?

皇室の方々が通学される学校として有名な学習院。
戦前は華族教育の学校として、宮内庁の管轄で運営されていました。
戦後は皇室財難の解体で、私立の学校法人として新たに再開。
浩宮さまの入園に合わせて、
昭和38年4月には新たに幼稚園も開設されました。

当時の院長はこう語っています。

「学習院はかつて長いあいだ、
皇室の厚い庇護の下に伝統を育ててきた。
その恩顧に報いるためにも、この際幼稚園を設立し、
皇孫殿下のご教育を引き受けるのが当然である」

学習院の幼稚園って、天皇陛下のために開かれた幼稚園だったのですね。
初等科入学後は、広い御所の中のみを自転車で通学、
門の外からは徒歩で通学されたようです。
(ご学友の通学定期券を羨ましく思われ「欲しい」と仰ったことも!)

それまでの皇室の子育てとの違い

「この子は、将来天皇にもなる方。
日本国民、神からおあずかりした宝です。
自分の子ではいけないのです。
どこへ行っても恥ずかしくないように、
いまのうちからきちんとした習慣を身につけておかなければなりません。」

美智子さまは、子育ての決意を、親しい友人にこう打ち明けておられました。

「いままで皇室では子どもを手元で育てるという習慣がなかったの。
私たち二人はがんばりました。
親子がともに暮らし育てるという意見が通ったのは、とてもうれしいわ。
反面、初めての試みですから、周りの人から
『ほらみたことか。親元でなんか育てるから、あんなになってしまったじゃないか』
と言われはしないかと、とても心配なの。
そういう点ではたいへん重荷に感じています。」

平民から皇室へ、そして初めての赤ちゃんは、
幼い頃から将来の天皇として国民の関心の的に。
普通の夫婦としてではいられないし、
自分達だけの可愛い赤ちゃんではいけない、という思いが切ないですね。

美智子さまは、一般家庭に近い子育て方法に変えたと言えるでしょう。

  • 宮中御産殿での出産をやめ、病院で御出産
  • 陛下の教育係である傅育官(ふいくかん)制度を廃止
  • 母親の代わりに育児をする乳母も廃止
  • 3人の子どもを全てご自身で育てた
  • 母子健康手帳を発給
  • 母乳が足りない場合は、人工栄養(ミルク)にする
  • 厨房で手料理や、子どもの離乳食や弁当も作った

上皇陛下明仁さまは、温かい家庭に強く憧れを持ち
「家庭を持ちたい」という旨を、美智子さまにお話しになっていたことも有名です。
明仁さまの幼少期は、当時皇室では当たり前だった育てられ方。
小さい頃から、将来天皇になるための特別な勉強をするために
両親とは離ればなれで、週1日だけ会えるという過ごし方だったのです。

また、美智子さまは児童心理学と児童文学の研究もされていて、
「国際児童図書評議会名誉総裁」と「国際児童図書館名誉会員」の役職もお持ちです。
子どもの思いや子育てについても深く理解をされているのでしょう。

「生まれてからずっと世話をしてくれた人がいるし、心配はありません。
”デンデン太鼓に笙の笛”などの子守唄をテープにハミングで吹き込みました。
留守中、私の声を忘れないようにときどき聞かせてもらうためです」

ご訪米前の記者会見で、こう語られた美智子さま。
決して「教育ママ」的なねらいで数々の取り組みをされたのではありません。
美智子さまが母の心情をこうお話しされています。

「あれは浩宮に私を忘れてほしくないという気持ちよりも、
むしろ私自身を慰めるためです。
つまり、いまごろ私の歌を聞いているだろうと旅の空で思いめぐらすと、
さみしさが安らぐもので、そういうことを考えて残してきたのです」

お二人とも、温かい家庭や育児について思い入れがおありですから、
子どもと一緒に過ごしたいと思うのはごく自然のこと。
それまでのしきたりを変えることと世間からの目…。

上皇陛下と上皇后陛下のプレッシャーは、
市民の想像など全く及ばないくらい重かったことでしょう。

まとめ

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皇室の育児を大きく変えた、美智子さまの育児メモ!
それがナルちゃん憲法。

  • 人やときによって、バラバラなしつけではいけない
  • 一定のきまりごとや一貫したものを
  • 悪いことは厳しく叱る
  • ナルちゃんを人として立派に
  • 豊かな想像性をつけさせるために多くの社会経験を

一般市民と変わらない愛情を感じるものばかり。
意外なエピソードから、皇室が身近に感じられるかも?

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