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おすすめされがちな絵本 泣ける要素は必要か?

2019/12/02
 
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泣ける物語が今アツイ?!

のぶみ氏の絵本についてネットで色んな意見を目にします。
色々炎上しちゃいましたし…。

大人目線の絵本がブームなんだなあ、とは昨今とても感じていたんですが。
それは、絵本に限らず、歌でも同じです。
泣ける系の童謡、増えましたよ。
NHKのみんなのうたは、もうかなり前から、子ども向けの歌ではなく、その番組の選択権を持つ親のための「泣ける歌」がかなり増えてきています。

大人が自分のために買って、よーし今から泣こう!と決めた時に一人で読むならいいのではないでしょうか。
何を書こうが読もうがそれは自由です。

読み聞かせをされた子どもからすれば、それは自由に選んだ絵本ではありません。
選択権も拒否権もないのです。
大きくなった時に自分で読みたがるならご自由にどうぞと思います。

「ママがおばけになっちゃった」は、身近な母親が亡くなってしまい、悲しんでいる男の子のお話。
でも息子が心配で成仏できなくて、おばけになったママが励ましたり一緒に過ごしたりするのです。

「ママがいなくなったら大変なんだぞ!」って分からせるために書いたと著者ご本人がそう語っています。
炎上し、問題視されていたのは主にこの点なのでしょう。
感謝されたい親の承認欲求を満たすための本だとも言われています。

個人的には「なまはげ」も同じようなものだと私は考えています。
脅して、良い子にさせようとするところです。
私、なまはげのやり方、嫌いなんです…。
(園で友だちが沢山いる中で節分の鬼が来るのはまだいいとしても、自分の家になまはげが来て少人数で対峙するって残酷ですよ…)

脅して大人の思い通りに動かそうとする教員はたまにいますが、教育力や指導力が無いからそれに頼るのです。
恐怖心で支配するという行為は、相手が子どもでも大人でもしてはいけません。
「〇〇しないと、クビだぞ!」みたいにすぐ脅す上司がいたら…
と大人が自分に置き換えて考えてみればすぐ分かる話ですね。

子どもは、自分のもやもやや恐怖をうまく言語化できず、一人で心の中にしまい込んで、何日も悲しい寂しい気持ちに襲われる可能性があります。

単純で元気だけが取り柄の子どもだと思っているかもしれませんが、子どもは大人が思うよりずっと繊細な生き物です。

昨今の「大人の読みたい絵本」「読んであげたい泣ける絵本」は、子どもが心から読みたいと思っている本とは全く別物であることを理解する必要があります。

なぜ絵本を読むのか??

  • ただただ、子どもは絵本の世界に入り込んで、そこで主人公になって楽しみたいから
  • お気に入りの絵を何度も見たいから
  • 好きなフレーズを何度でも聞きたいから
  • めでたしめでたし、の言葉を聞いて、ああーよかった!っていう気持ちを味わいたいから

その他いろいろ…子どもの数だけ、理由や思いがあります。

教訓の押し付けも求めていないんです。
救いがないまま悲しい終わり方では、絵本が悲しい体験として心に刻まれてしまいます。
どうか、楽しく子どもとページをめくっていける絵本を選んでほしいと思っています。

悲しい物語ってダメなの?

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終わり方が悲しい物語だって、昔からありますよね。
人魚姫、鶴の恩返し、雪女、竹取物語、浦島太郎…。
グリム童話やアンデルセン童話も、本当は残酷で悲しい物語だった、というのも沢山あります。

私はオスカー・ワイルドの「幸せな王子」(The Happy Prince / Oscar wilde)が大好きです。
一見幸せにあふれた街に、金色に輝き宝石で装飾された王子の像が立っています。
王子はその場所からいつも、貧困にあえぐ人々の暮らしを見て、心を痛め、自分の体から装飾を取って貧しい人々に届けてほしいと旅のツバメに頼む、という物語です。
最後に王子は捨てられてしまうので悲しい物語として位置づけられていますが、人々を助けて幸せな気持ちで天国に行ったという風に〆られています。

ワイルドはこの作品に風刺的な気持ちも込めていて、100%子ども向けに作った物語ではないのでしょう。
美しく発展した世の中に見えても貧困は常にあるということ、
金と宝石に輝く王子の像を誇っていた市民は結局見た目しか見ていなかったということ、
そして王子とつばめの優しい心。
これらを伝えたかったのだと思います。

「ママがおばけになっちゃった」のように身近な家族を亡くならせて子どもを脅して「大人の言うことを聞けよ」と操るための作品ではない、ということは分かります。

個人的な好き嫌いを抜きにしても、やはり「ママがおばけ~」は亡くしたのが家族で身近な存在過ぎて、子ども達には完全なフィクションとして切り離して認識できず、情緒不安を引き起こしてしまったのでは。

とはいえ、死は誰にでも訪れるもので、本来は普遍的なものですよね。

日本の教育においてタブーとされている「死」「性」「宗教」について、家庭や教育現場はもっと見直していかなければならないと感じています。

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