夢をかなえる子供になるには?協調性も道徳教育も必要なし?
よく、子どもを遊びに連れて行く児童館。
色んな保護者と子ども達がいます。
我が子ぶどうが0歳の時の話です。
同い年のお友だちの元気でやんちゃなジローちゃん(仮名)が、児童館の乳幼児クラスに来ていました。
児童館の職員が「みんなでお歌を歌いましょう!」と呼び掛けたりしている中、ジローちゃんは歩き回ったり大声で笑ったり…。
その様子を見ながら、ママは呆れて一言。
「あなたは、協調性がないのねえ…」
きょ、協調性。
0歳に?!?!?!?!
子どもの協調性は必要か?
関連記事 道徳教育も民主主義的な協調性も、これで解決?レッジョエミリアの教育法!
協調性は必要か否か、なんて、教員が言おうものなら、主張はどちらであっても炎上しそうですが。
私は、勘違いの協調性なら必要ない!と考えています。
協調性って、
「みんなで何か一緒の同じことをすること」
「個人的には嫌と感じても我慢して集団に合わせること」
と勘違いしていませんか?
そして、その協調性が当たり前だと思い込んでしまうとどうなるか…?
他人に対して「不寛容」になります。
・みんな一緒に同じことをしなければいけない
・好きなことばかりではいけない
・これから生きるには嫌なこともたくさんあるから我慢の練習をしなければいけない
・自分だって、嫌だと感じているけど我慢しているんだ!
・何であの子は好きなことばかりしているの?…自分も我慢しているのに!
↓
許せない!
↓
不寛容・いじめ・排除・自分と違うものを攻撃
こんな流れになるの、容易に想像できませんか??
極論ですけど、
「誰でも話し合えば、きっと分かり合えるさ!」という理想論を捨てることがイイですね!
「話し合っても分かり合えない」…と諦めも大事!
この「話し合ったらきっと分かりあえる!」っていう思い込みが、よくないものなんだと気付かされたのは最近です。
私もきっと、「みんなで同じものを目指していくべき」、と以前は思っていたところがあったんです。
協調性を重んじるばかりで、個人の思いを踏みにじったことがあります。
本当に反省です…。
話し合ったら分かり合えるっていうのは、つまり、
「自分の気持ちを話せば、相手は自分の考えに染まってくれるはず!」
「自分が正しいから、相手は考えを変えてくれるはず!」
という気持ちがあるんですよね?
でも本当はそうじゃないはずです。
相手にも意志があります。
自分にも意志があります。
相手にも絶対譲れないものがあります。
自分にも絶対譲れないものがあります。
自分の考えに相手を変えてやろうとか、自分の考えは絶対的に正しいんだとか、そういう思いが自分の中にあることに気付くべきなのです。
その妥協点を探るために話し合って決めていくのが、民主主義です。
多数決で多い方が絶対の正義でもないし、少数の人を弾圧せずにどう解決に導いていくか…それが民主主義ではないですか??
レッジョエミリアの教育法でも大事にされていますが、子ども達は本来、自分達で話し合って解決していける能力があります。
大人が無理に正解を求めたり、大人しく従うことが偉いと褒めたりしないことが必要です。
長い年月、「我慢や忍耐は偉い」と美徳だと思ってきた日本人。
大人にも子どもにも、今、必要なのは、忍耐や協調性ではなく、「他人に寛容な心」「許すことのできる余裕と優しさ」では?
家庭でできることとは?
まず協調性の前に、自分の気持ちをきちんと主張できるようになることが必要です。
そのためには、日頃から、子どもも話し合いの場に参加させ、選択権を与えていきましょう。
・おやつは何がいい?
・週末はどこへ行きたい?
・服はどれにする?などなど
0歳からでも、今からでも、子どもと親とで、できるんです。
目の前に選べるものを置き、「どれにする?」と呼び掛けていくのです。
実はこれ、障がい児の施設でも取り入れられています。
障がい児の中には、目の見えないものを理解したり、覚えたり、選んだり…というのが難しい子がたくさんいます。
そういう子達に、カードで絵にして、「今日は外遊び」とか、「クレヨンでお絵描き」とか、予定を理解しやすいように可視化するのです。
障がい児に優しい教育とは、みんなに優しい教育である…と恩師が言っていたのを思い出します。
お子さんが自分でしっかり選べるようになったら、今度は選択肢を与えるのではなく、「何がいい?」と自分で主張できるように聞き方を発展させていけたらいいですね。
我慢することに慣れていかなきゃだめ!?
今から我慢させなきゃわがままな子に…とか、大人はよく言いますけど。
我慢させられて満たされないまま育ったら、どうなるか知っていますか?
反動が来るんです。
お金がずっと無くて貧困家庭で育った子は、その反動で、「お金がほしい」と強く思います。
家族に褒めてもらえなかった子どもは、その反動で、承認欲求が高くなり、いつも褒めてもらいたがります。
我慢が美徳だと思ってきた日本人は、数十年を経て、今どうなってきていますか?
「自分は我慢してるのに、あの人はずるい」と、我慢できなくなっていませんか?
従来の子育て観も教育観も、数十年を経て、結果として大人達の人間性に表れているじゃないですか。
少し他人に何かされたら、すごく迷惑がって、他人の行為を我慢できない人はたくさんいますよね。
そして、「そういう人、多いよね。自分は大丈夫!」と思ってしまう人も注意です。自分は正常・大丈夫と思ってしまうのが危険なのですから。私も日々、反省です。
子どもに今、必要なこと
話を元に戻しますが、子どものうちから「我慢だ我慢だ!」なんて、させないでください。
先ほど述べたジローちゃんのように、「協調性!」なんて、幼児期から言わないであげてください。
子どもに必要なのは、何か??
満たされて、幸せを感じること
自分の気持ちを表現してもいいんだ、と自信をもつこと
絶対的な味方がいると安心できること
これしかないです。
我が子が生まれてすぐに、教育オタクな私は、我が子の行動をじっくり観察し、一つの結論が出ました。
きっと赤ちゃんの目の前の世界はキラキラしているんです。
あれで遊びたい、触ってみたい、口に入れてみたい…
わくわくするものがいっぱいなんです。
その衝動を抑えることはもはや不可能です。
大人に分かりやすく例えるならば、目の前に「ビュッフェ」が広がって輝いているんですよ!
お分かりですよね?!
おいしそうなものが並べられていて、でも「あれは高いから我慢」「危ないから我慢」「太るから我慢」なんて言っていては、何も挑戦できないし、つまらないです。
子どもは、そんな余計なことを考えずに飛び込めるんです。
すごい能力です。
親や周りの大人は、「楽しそうだね、やってみよう」と笑顔で見守ってください。
失敗したら「失敗したね。でもやりたいならまた挑戦してみたらいいんじゃない?」と、ゆったり構えてください。
まとめ
どうか、心に余裕を持って、可愛い盛りの子どもと過ごしてほしい…そんな思いからこの記事を書きました。
協調性や他人への配慮に躍起にならず、今、子どもに必要なことを考えてみませんか?
安定した幼児期の情緒が、その後の人格形成に大きく関わってくる
保育所保育指針や幼稚園教育要領でも、随分前から明記されているんです。幼児教育に於いてはもはや常識なんです。
つまり、がまんがまん!きょうちょうせい!!!!ではなく、
「好きなことができて嬉しい」
「楽しく遊べて幸せ」
「いつもそばに味方がいてくれて安心」
と子どもが思えたら、それはもう大成功なのです。
「あー楽しかった!」という子どもの思いが、その子の豊かな人生を作っていくのです。
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